『下剋上球児』が改めて問う「先生」の意味と意義

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いい試合を見ると、勝ってほしいと思うのと同じくらい、終わらないでほしいという気持ちが湧いてくる。ずっとこの勝負を見続けていたい。みんなを応援し続けたい。

9回裏、ツーストライク。力強く踏み込んでバットを振った背番号1を見つめながら、そんなことを考えていた。

日曜劇場『下剋上球児』(TBS系、毎週日曜21:00~)第9話。僕たちは、現実に負けない名試合を目撃した。

南雲はやっぱり「先生」なんだと思う



「俺、何もお返しできやんです」

2年前、お下がりの硬式用のグローブを譲り受け、根室知廣(兵頭功海)はそう当惑していた。あのとき、南雲脩司(鈴木亮平)は大人になって誰かに返せばいいと答えていた。恩返しではなく、恩送り。そうやって優しさは世界に広がっていく。

でもきっと根室の中には南雲に恩を返したいという気持ちがあったはず。ならば、今がそのときだ。準決勝・星葉高校戦。先発のマウンドに立った根室は、序盤こそ立ち上がりに苦戦するも、生来の真面目さで粘りの投球を見せ、星葉打線を1点に抑え込んでいた。

8回表。投球数は100を超えた。ずっと控え投手だった根室にとっては、チームを背負う重圧も、これだけの球数を投げるのも、未知の領域。ノーアウトで先頭打者は2塁へ。次は、4番・江戸川快斗(清谷春瑠)。「負けたくない」。そう口にした根室は、敬遠も覚悟しているように見えた。卑怯者と謗りを受けてもいい。勝つためなら手段は選ばない。それが、南雲と根室の選択なのかと思った。

だが、南雲の指示はサイドスロー。昨年、オーバースローに転向して以来、封印していた宝刀をここで抜いた。2年前まで、根室が星葉を相手にここまで喰らいつくなんて誰が想像できただろう。根室本人でさえ自分の可能性に気づいていなかった。信じていたのは、南雲だけ。たったひとりでいい。自分を信じてくれる人がいれば、人は変われる。強くなれる。それが、教育だ。教師にできることだ。南雲は免許を持っていなかったけれど、やっぱり「先生」なんだと思う。

2年間、ずっと一緒にやってきた。無免許問題でチームを離れたときでさえ、いつも部員たちのことを考えていた。だから、彼らのことなら何でもわかる。球場の空気に飲まれ、ミスが続く中、柄にもなく一喝したのも、そのほうが彼らに火がつくと見抜いていたから。

「必死かどうかは人が決めるんだよ! 自分で自分の天井を決めるな」

その言葉を証明するような日沖壮磨(小林虎之介)のヒット。血の気の多さなら、ザン高野球部でもナンバーワンだ。その単純さが愛らしい。続く楡伸次郎(生田俊平)の巧打で壮磨はホームイン。「やったぞー」と応援席に向けて拳を掲げる。あれは、スタンドにいた兄・誠(菅生新樹)に向けたようにも見えたし、もっと先、画面の向こう側にいる山住香南子(黒木華)に向けたようにも見えた。背負っているものの数が多いほうが、人は強い。兄のためにも、山住のためにも、こんなところで負けるわけにはいかないのだ。

筋書きのわかっているドラマに、なぜこんなにのめり込むのか



だが、ワンプレイで風向きががらりと変わるのが高校野球の怖さでもある。守備中に楡と衝突した久我原篤史(橘優輝)が頭部を強く打ち、病院へ運ばれる事態に。ムードメーカーを失い、追い込まれるナイン。南雲が新たに送り込んだのは、主将・椿谷真倫(伊藤あさひ)だった。

「外野なら俺より上手いやつ」と言いかける椿谷を遮り、南雲は言う。「上手いか下手じゃない。空気変えてくれ」。たったひとりの存在が、胸を覆う不安を突き破る。そんな芸当ができるのは、今までチームの誰よりも泥にまみれて、声を出して、頑張ってきた人だけ。それが、椿谷だ。「日本一の下剋上」の名付け親。彼らの下剋上は、椿谷から始まった。守備位置についた椿谷が声をあげる。それに呼応するように3年生たちも声をあげる。その光景が、眩しくて苦しい。熱いものが喉の奥に張りついて、うまく息が吸えない。

スポーツは筋書きのないドラマだという。結末がわからないから、みんな夢中になる。だったら、僕たちは筋書きのわかっているドラマに、なぜこんなにのめり込んでいるのだろう。ザン高野球部が奇跡を起こすことは、初回の段階ですでに予告されている。呑気に構えて見ていればいい。なのに、できない。夜中だというのに、テレビの前で大声をあげて、ヒットが出るたびに拳を握りしめてしまう。『下剋上球児』には、筋書きを超えて、人の心を掴む力がある。その力を生んでいるのが、この作品に懸けるキャスト・スタッフの魂だ。

9回裏ツーアウト、1・2塁。ここで南雲が代打を告げる。打席に立つのは誰か。そんなのもう画面を見なくたって、みんなわかっている。犬塚翔(中沢元紀)だ。この試合に出ることを誰より強く望んでいた翔が、最後の最後で主役になる。

初球からボール球に手を出す翔。熱くなりすぎて球が見えていないのだろうか。そんな観客の危惧を吹き飛ばすように、根室が叫ぶ。

「翔、甲子園行くんやろ! 打て!」

そうだ。相手は格上の強豪校。駆け引きしてもしょうがない。弱小野球部にできることは、全力でバットを振るだけだ。3球目。翔のスイングがボールを捉えた。高く高く舞い上がった球が、遥か右中間へと伸びていく。帰ってこい。帰ってこい。帰ってこい。みんなの願いが、一つになる。劇的な、逆転サヨナラ。ザン高野球部の大勝利だった。

賀門が示した「先生」の背中



放送尺は、およそ45分。そのほとんどすべてを試合シーンに使い切る潔い構成。3年生それぞれに見せ場をつくる展開も、長いオーディション含め、ここまでこの作品にすべてをぶつけてきた若い俳優たちに対する、つくり手たちからの愛と誠意に見えた。

途中退場した久我原も、「俺の寝顔は高くつくで」で笑いどころをつくりつつ、「痛いやろ? 大事にせんと」と自分よりも山住を心配する優しさを見せ、涙腺を緩ませる。『下剋上球児』は、どのキャラクターにもつくり手の愛がある。だから、登場人物全員がいとおしくなる。

でも、今日いちばん泣かされたのは、賀門英助(松平健)かもしれない。南雲への野次が飛ぶ中、「どうか大人として失望させないでいただきたい」と場をおさめる。その毅然たる姿に、涙が出た。先を生きる人と書いて、「先生」。卒業して20年経ってもなお、南雲にとって賀門はやっぱり「先生」なのだ。

だから、試合後、南雲が賀門を「監督」と呼んだあと、「先生」と呼び直す姿にグッと来た。あのとき、確かに南雲は生徒の顔をしていた。「先生」と呼べる人がいる人生の幸せが、あの顔につまっていた。

先生とは決して資格の有無を言うのではない。この人に何を教わってきたか。これから何を教えてもらいたいか。背中を追う人たちの想いが、人を先生にする。だとすれば、南雲はザン高野球部の前でどんな先生でいられるだろうか。先を生きる人として、彼らに何を教えられるのだろうか。

残る試合は決勝戦のみ。どんなに終わらないでほしいと願っても、試合にもテレビドラマにも必ず終わりはやってくる。だから、せめてその最後の一瞬まで全力で応援したい。クローゼットから、緑色のTシャツを引っ張り出して。きっとそのとき、僕たち視聴者もこの「日本一の下剋上」の一員となるのだ。

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