バブル世代・村井があげる反撃ののろし
大洋テレビをクビになった岸本拓朗(眞栄田郷敦)は、「週刊潮流」編集長の佐伯(マキタスポーツ)の助言により、ジャーナリストとして再起する。
「重要なのは本人の中にあるべきものがあるかだ。君にはそれがある」。
ジャーナリストは免許のいらない仕事で、誰でも名乗ることができる。でも、誰もが真のジャーナリストであるわけではない。読者や視聴者を欺くことなく、ジャーナリズムの営みを通して民主主義に寄与する人間こそがその肩書に値する。
そういえば斎藤正一(鈴木亮平)も今の肩書は「フリージャーナリスト」だったが、拓朗が持っている「それ」を、斎藤は持っているだろうか。
村井の紹介で、大門雄二副総理(山路和弘)の娘婿で元秘書の大門亨(迫田孝也)に引き合せてもらった拓朗は、そこで衝撃的な事実を知ることとなる。それは大門の依頼で派閥議員が起こした問題をもみ消していた亨の過去と、その事件を告発しようとした村井の顛末だった。
事件の内容は書くのもおぞましいものだが、それについて詳しく知りたい人はぜひジャーナリスト・伊藤詩織氏の著書「Black Box」を読んでいただきたい。司法、政治、権力に守られた男性優位社会に切り込むことがいかに困難なことかかという現実は、きっとそこかしこにある。
「悪いけど俺は野心と欲望のバブル世代だからよ。お前らが振りかざすようなペラペラした偽善とかうすら寒いと思ってるわけ。世直しのために汚職政治家を倒したいとか1ミリもないわけ。こんな一生にあるかねえかのでかいスクープ獲れたのが嬉しくてしょうがねえし、誰にも渡したくねえ」
熱い志ではなく自分のためのスクープだったと語る村井だが、拓朗だって元はと言えばそうだ。いじめを見て見ぬ振りをしていた過去の贖罪で突き動かされている。でもその先によりよい社会が待っているのであれば、動機なんてどうでもいい。自分の手柄であるネタと取材データを拓朗に差し出した村井は、きっと今の拓朗と同じぐらいの情熱をちゃんとたぎらせている。
ただ、敵は一枚も二枚もうわてだ。拓朗らとともにふたたび告発を決意する亨は、突然死んでしまう。病死なのか、自殺なのか、他殺なのか。真相はわからないところに葬られてしまった。亨に対する大門副総理の手向けの言葉に嘘はないと信じたいが、それが「泣ける」ものとしてメディアで語られてしまうとしたら、本当に恐ろしい。
組織や社会の中にも存在する、善玉と悪玉
組織は私たちの体のように、善玉も悪玉も一緒くたに、ただたえまなく循環させながら摂取と排泄を繰り返している。拓朗が去っても会社は何も変わらず回り続け、浅川恵那(長澤まさみ)はひとりその組織の中に取り残されていた。自分は善玉なのか、悪玉なのか、それさもよくわからないまま。
ただ、善玉と悪玉は区別するものではなく、両方のバランスが大事であるらしい。それゆえに、善が悪になることも、悪が善になることもある。まさか体内の仕組みと社会の仕組みを接続して考えさせられることになるとは……。
でも、もし組織や社会が悪に傾いているのであれば、やはり多くの人が善玉となってバランスを取り戻すしか健康に戻るすべはない。どうにか善玉を増やさなくては、と思ってしまう。
「マスゴミ」という言葉が定着して久しい今のマスコミはどうだろう。どこからか聞いてきたものを右から左へ伝書鳩のように伝えることではなく、読者や視聴者にとって何が必要か、何が大事かの選別を行って報道を行えているだろうか。
もちろん、報道は公共性を重んじる必要があり、誰か一人のためのものであってはならない。多くの人のためになる情報を出すことが報道の基本としてある。しかし、小さな弱き声を拾い上げることで、事件・事故・災害の再発を防ぐことだってある。
そしてそこにしかない真実だって、きっとある。そのことをマスコミの方々は思い出してほしい。
『ニュース8』放送後、村井がスタジオに乱入して暴れるシーンにはぐっときてしまった。かっこよすぎる……。7話では拓朗の姿をみて「俺の中にもうあの情熱が消えちまっている」と泣いていた村井が、その情熱ゆえに声をあげ、暴れている。
報道とはなんなのか。誰のためにあるのか。その心の叫びがすべてその場面に現れていた。そこにいは自分のせいで亨を死なせてしまったという無念ももちろん含まれている。
でもきっと、その場にいた多くの人の目に村井の姿は「左遷させられたおじさんのひがみ」「負け犬の遠吠え」と映ってしまっていただろう。そのもどかしさといったらなかった。
拓朗はうまく行動を起こせるだろうか。佐伯は「権力へは必殺しかない」として慎重に事を進めさせようとするが、権力により事実がねじ伏せられてきた経緯からみてもそれは同意見だ。そのためには緻密な戦略がカギとなる。
勇気あるジャーナリストたちが権力に屈することなく、自分の信じる正義に向かって奮闘する物語にはいつも2種類の結末が待ち受けている。不都合な真実を前にジャーナリズムが勝利するか、敗北するか。
勝利するためには、さきほど挙げた「小さな弱き声」が重要になる。それは言い換えれば、非権力側の声だ。権力側が耳を傾けることなく切り捨てていったその声ひとつひとつのなかに、真実はある。そしてそれらは本当は大きな力を持っている。そう信じたい。
『エルピス』がどんな結末を迎えるかはまだわからない。ただ私は、ジャーナリズムの勝利に希望を見出したいと思ってしまう。
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