松崎健夫の平成映画興行史 平成二十年「日本で『ダークナイト』は興行的に苦戦した」

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リーマン・ショックが世界的な金融危機を誘発した

<給付金>という言葉が、コロナ禍に生きるわたしたち国民の心を揺らし続けている。そもそも貰えるものなのか? それとも、貰えないものなのか? 或いは、どんな条件で誰が貰えるのか?という猜疑心にかられているような印象まである。日本の経済は停滞して久しいが、コロナ禍によって世界経済も打撃を受けた。生活に困窮した人々の悲痛な声を反映し、其々の国が施策として<給付金> による支援を行っている。惜しむらくは、われわれの興味の中心が「さて、かの国ではいかほど貰えているのか?」という、やや品格に欠けた"金額"の話になりがちなことだ。

平成二十一年(2009年)11月23日、勤労感謝の日。とある映画の試写会にて、来場者へ<定額給付金>が配られるとの情報が流れたことがあった。『ボウリング・フォー・コロンバイン』(02)や『華氏911』(04)などを手がけたアメリカのドキュメンタリー監督マイケル・ムーアが「日本の経済を良くするために、頑張ろう!」と、彼の顔を模した"マイケル・ムーア マネーき猫"小銭入れに現金を入れて来場者全員へ(ごく少額の)<定額給付金>を配ったのだ。試写会で上映されたのは、ムーアの新作として当時公開された『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』(09)だった。この映画は、資本主義(キャピタリズム)の経済問題を描いた作品で、「100年に一度の金融危機」と言われたリーマン・ショックをいち早く取り上げた作品でもあった。

<サブプライムローン>と呼ばれる融資方法によって、アメリカの住宅ローン問題が悪化。投資銀行であったリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが2008年に経営破綻したことをきっかけに、世界規模の金融危機を連鎖的に誘発したという現象がリーマン・ショックだった。つまり、マイケル・ムーア監督は、リーマン・ショックの翌年にこの映画を完成させている。平成二十年(2008年)は、北京オリンピックが開催され、バラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領に選ばれ、それと同時期に世界的な金融危機が訪れるという激動の年だったのだ。

世界的なヒット作『ダークナイト』が日本では苦戦した

平成二十年(2008年)の興行データを見ると、多くの観客に支持されたと思わしき、とある映画の不在を見出すことができる。

【2008年 洋画興行収入ベスト10】
1位:『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』・・・57億1000万円
2位:『レッドクリフ Part1』・・・50億5000万円
3位:『アイ・アム・レジェンド』・・43億1000万円
4位:『ライラの冒険 黄金の羅針盤』・・・37億5000万円
5位:『ハンコック』・・・31億円
6位:『ナルニア国物語/第2章 カスピアン王子の角笛』・・・30億円
7位:『魔法にかけられて』・・・29億1000万円
8位:『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』・・・25億8000万円
9位:『ウォンテッド』・・・25億円
10位:『アース』・・・24億円

その"不在"作品が何であるかは、日本の興行ランキングと世界の興行ランキングを比較することで判るはずだ。

【2008年 世界興行収入ベスト5】
1位:『ダークナイト』・・・10億304万ドル
2位:『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』・・・7億9065万ドル
3位:『カンフー・パンダ』・・・6億3174万ドル
4位:『ハンコック』・・・6億2944万ドル
5位:『マンマ・ミーア!』・・・6億984万ドル

そう、この年に全世界で一番ヒットしたはずの映画、『ダークナイト』(08)の姿が日本のランキングには存在しないのだ。ちなみに、『カンフー・パンダ』(08)は20億円を稼ぎ出し、日本では年間13位。また、日本での『マンマ・ミーア!』(08)公開は、2009年1月だったので翌年の興行成績に計上され、26億円を記録して年間8位にランクインしている。

クリストファー・ノーラン監督による『ダークナイト』は、バットマンとジョーカーの闘いを描いた『バットマン ビギンズ』(05)に続く三部作の2作目。『ダークナイト』が異色な作品であったのは、いくつかの理由がある。そのひとつは、DCコミックスのヒーローであるバットマンが主役の映画でありながらも、題名に「バットマン」の名称が付けられていなかった点にある。ティム・バートン監督による『バットマン』(89)にはじまるワーナー・ブラザース製作の「バットマン」シリーズは、『バットマン リターンズ』(92)、『バットマン フォーエヴァー』(95)、『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(97)、そして『バットマン ビギンズ』と、バットマンの冠を付けることで「バットマンの映画」であることを示してきた経緯があった。それゆえ、公開当時は『ダークナイト』というタイトルでは「バットマンの映画」であると分かりづらかったという実情も指摘されていた。

日本における『ダークナイト』は、興行収入16億1000万円で、年間興行収入では16位。10億円超えの商売なので「まあまあ」という数字だったが、世界的なヒットという現象と比較すれば物足りないものだったと当時のメディアも報じていた。前作『バットマン ビギンズ』の世界興収は3億7185万ドル。つまり続編の『ダークナイト』は3倍近く増収させていることがわかる。一方で、日本での『バットマン ビギンズ』の興行収入は14億1000万円。『ダークナイト』の興行収入は、前作より2億円ほど上乗せされた"金額"に過ぎないのだ。

わたしたちは長い夜明け前にいる

平成二十年の夏休み興行として公開された『ダークナイト』が日本で苦戦を強いられた要因のひとつとして、対抗馬が強かったという点も指摘されてきた。

【2008年 邦画興行収入ベスト3】
1位:『崖の上のポニョ』・・・155億円
2位:『花より男子 ファイナル』・・・77億5000万円
3位:『おくりびと』・・64億8000万円

洋画と邦画をあわせた平成二十年の興行トップに輝いた『崖の上のポニョ』(08)。宮崎駿監督による前作『ハウルの動く城』(04)の興行収入196億円には及ばなかったものの、155億円は歴代12位となる記録なのだ(2021年現在)。『ダークナイト』は、その10%ほどしか稼いでいないことになる。また、北米ではオープニングの3日間で1億5550万ドルも稼ぎ出している(日本円に換算すると約175億円)。日本とアメリカでは市場規模の違いがあるとしても、日本での興行が局地的に苦戦したことを窺わせるものだ。

とはいえ『ダークナイト』は、第82回キネマ旬報ベスト・テンで外国映画の3位、第32回日本アカデミー賞では最優秀外国作品賞に輝くなど、高い評価を受けた。そして、この映画を「人生のベスト」に挙げる映画ファンも少なくない。作品の良し悪しは、売り上げた"金額"に比例するとは限らないのである。

『ダークナイト』が支持された理由のひとつに、ヒース・レジャーが演じてアカデミー助演男優賞に輝いた悪役・ジョーカーの存在がある。彼の目的は混沌だ。銀行から強奪する"金額"が重要なのではなく、犯罪そのものを楽しんでいる。いわば、法律で守られ、倫理観に縛られた国民の善悪を巧妙に揺らすことで、混沌を生み出そうとしているのだ。ジョーカーは、悪意に満ち、金目的ではないため、交渉の余地もない。

『ダークナイト』では、拝金主義に陥っていた当時のアメリカ社会が、混沌を生む準備段階にあるという危うさを示唆してみせていた。その予言めいたものが的中するかのように、この映画の公開翌々月にリーマン・ショックが起こったのだ。

2019年には、ジョーカーの生い立ちを描いた、前日譚のような趣の映画『ジョーカー』(19)が公開された。ホアキン・フェニックスが演じてアカデミー主演男優賞に輝いたアーサー役。観客を熱狂させたのは、架空の街が舞台でありながらも、どこか自分たちの住む世界と地続きの社会問題を物語から感じさせ、アーサーの境遇を「他人事ではない」と悟らせたからだ。例えば、福祉サービスの削減によって薬が支給されないという場面。行政サービスに対する予算削減が実施されている現実と重なるだけでなく、国民の生活よりも企業理念が優先される社会に転じている姿によっても、フィクションでありながらリアルな問題とは無縁でないと観客を"共感"させたのだ。 コロナ禍におけるアメリカでの暴動は、『ジョーカー』の終盤に訪れる暴動場面と酷似していたことに戦慄させた。<給付金>が、そもそも貰えるものなのか? それとも、貰えないものなのか? 或いは、どんな条件で誰が貰えるのか?という先述の猜疑心。そんな国家に対する疑念は、社会の混沌とも無縁ではない。そんな不穏さを象徴するかのように、令和になった日本では、密室である列車内で殺傷事件を起こし「ジョーカーに憧れた」とうそぶくような凶悪事件の発生にまで至っている。

だが、不安ばかりではない。『ダークナイト』ではアーロン・エッカート演じるハービー・デント検事が「夜明け前は最も暗い。だが約束する、夜明けは来る」と語るくだりがある。わたしたちは、長い、長い、夜明け前にいるのだ。だから、いつか、必ず、夜は明け、朝を迎えることになるのだろう。

(映画評論家・松崎健夫)

【出典】
・「キネマ旬報ベスト・テン90回全史1924−2016」(キネマ旬報社)
・「キネマ旬報 2009年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
・一般社団法人 日本映画製作者連盟
http://www.eiren.org/toukei/img/eiren_kosyu/data_2005.pdf
http://www.eiren.org/toukei/img/eiren_kosyu/data_2008.pdf
http://www.eiren.org/toukei/img/eiren_kosyu/data_2009.pdf
・Box Office Mojo https://www.boxofficemojo.com/year/world/2008/
https://www.boxofficemojo.com/release/rl3510994433/
・シネマランキング通信(興行通信社)
http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/
・シネマトゥデイ https://www.cinematoday.jp/news/N0020759

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