松崎健夫の平成映画興行史 平成十九年 「シリーズの3作目が観客を魅了した」

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平成十九年は生配信の夜明け前だった

昭和の時代、「Radio Cassette Recorder」いわゆる「ラジカセ」の登場によって、ラジオ番組は聴くだけでなく、<エアチェック>をするための機器となった。<エアチェック>なる言葉は、もはや死語となっている感もあるが、辞書には"放送番組を受信して録音・録画すること"と記されてある。令和の時代に40代後半から60代となった世代の者であれば、音質の優れたFM放送で流れる楽曲をカセットテープに録音した思い出があるに違いない。



1980年代には、共同通信社から「FM fan」、音楽之友社から「週刊FM」、小学館から「FMレコパル」、ダイヤモンド社から「FM STATION」、4誌ものFM情報誌が出版されており、女性ファッション誌の如く其々の派閥を生んでいた。ちなみに筆者は、毎号推薦アルバムのジャケットが表紙となっていた「FM fan」派。インターネットが存在しない時代、隔週遅れながらアメリカのBillboardチャートが1位から100位まで掲載され、シーナ&ザ・ロケッツの鮎川誠と音楽評論家の伊丹由宇による連載「CHART BOM」と共に、アメリカ音楽チャートのデータを詳細に知る数少ない場だった。





FM情報誌の魅力は其々あったが、読者のお目当てのひとつは番組表。(雑誌によって異なるが)2週間分の番組表には、各FM局の番組で流れる予定となっている楽曲の情報が詳細に掲載されていたのである。曲名、アーティスト名、そして曲の長さ。例えば・・・



<クイーン> ①炎のロックン・ロール(3'42"®️W P-8427 ②キラー・クイーン(2'59"®️W P-8516 ③ボヘミアン・ラプソディ(5'55"®️W P-10075

※NHK-FM 1983年11月21日(月)16:05〜18:00「軽音楽をあなたに」



といった表記を見て時間を計算し、録音したい楽曲が何時何分に流れるのかを調べるのだ。発売されたばかりのアルバムが全曲ノーカットで収録順に放送されるような番組もあり、金銭的な余裕のいない学生たちは好んで<エアチェック>を行っていたというわけなのだ。ちなみに、1988年にJ-WAVEが開局するまで東京の民放FM局はFM東京(現・TOKYO FM)のみだった。



そんな時代に、ミニFM局が開設できるラジカセが発売されたことがある。現代の感覚だと、おそらく「ラジカセでFM局を開設?」ということになるのだろう。例えば、ナショナル(現・パナソニック)から発売されたRX-C46という機種には、FMトランスミッタ機能が搭載されていた。カセット部の横にある"トランスミッタ"のスイッチをONにするだけで、総務省(当時は郵政省)の許可を経ることなく半径約50m範囲にFM電波を飛ばせるという仕様。簡易に個人のFM局を開設し、好きな時間に勝手な番組を放送できたのである。



とはいえ、当時の電波法上で許可された範囲は僅か100m(現在はより制限が厳しくなっている)。誰が聴いている、或いは、誰も聴いていないとも判らず、DJ気分を味わったという経験がある方もいるはずだ。YouTubeやライブ配信アプリなどを使って自宅から世界に向けて生配信ができるという現代の技術とは隔世の感があるが、同時に「個人が何かを発信する」という感覚に時代の違いはない。ちなみに、平成十九年にはニコニコ生放送が初の番組を配信し、アメリカではUstreamが設立されている。つまり平成十九年は、個人による生配信の夜明け前だったのだ。

新たな日本映画界の"夜明け前"

一方、平成十九年前後の日本の映画界でも、とある"夜明け前"だったことを再考させる事実がある。それは、令和の日本映画界を牽引するであろう映画監督たちの萌芽を見出せるという点だ。例えば、"映画の新しい才能の発見と育成"を掲げるぴあフィルムフェスティバル(PFF)の受賞者たち。平成十九年のグランプリに輝いたのは、後に『舟を編む』(13)や『映画 夜空はいつでも最高密度の青空だ』(17)を監督することになる石井裕也。平成二十年の準グランプリには『あのこは貴族』(21)を監督した岨手由貴子が輝いている。



この他にも、自主映画や学生映画などインディーズ作品を対象とした、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のオフシアター部門では『宮本から君へ』(19)の真利子哲也(平成十六年受賞)、『ヒメアノ〜ル』(16)の吉田恵輔(平成十八年受賞)、『A.I.崩壊』(20)の入江悠(平成二十一年受賞)が平成十九年前後のグランプリに輝いている。



同様に新人監督作品をコンペ対象とし、『横道世之介』(13)の沖田修一や『愛がなんだ』(19)今泉力哉、先述の岨手由貴子も受賞を果たしている田辺・弁慶映画祭がスタートしたのも平成十九年。また、『ドライブ・マイ・カー』(21)でカンヌ国際映画祭脚本賞に輝いた濱口竜介が、学生映画ながら東京フィルメックスのコンペ作品に選出された『PASSION』(08)を東京藝術大学大学院で撮影していたのも平成十九年末頃で、その例は枚挙にいとまがない。



ここに挙げた監督たちは、フィルムによって映画を製作していた世代と異なり、映画のデジタル化や機材が安価になったことの恩恵によって自主的に映画を製作し、映画祭でその才能を認められたことをきっかけに商業映画監督へと成長した面々でもある。このことと、配信によって個人が何かを発信することになる姿勢には"時代の要請"のようなものが介在している。それゆえ、無縁なことだとはいえないのである。平成十八年(2006年)からアメリカでサービスの始まったTwitterが日本版で利用可能になるのは、平成二十年4月。やがて、SNSの時代が到来することになるからである。

シリーズの3作目が映画興行を支えた

平成十九年(2007年)の興行データを見ると、ヒットした作品の傾向から「停滞」という印象を受けることになる。



【2007年洋画興行収入ベスト10

1位:『パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド』・・・109億円
2位:『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』・・・94億円
3位:『スパイダーマン3』・・71億2000万円
4位:『硫黄島からの手紙』・・・51億円
5位:『トランスフォーマー』・・・40億1000万円
6位:『ダイ・ハード4.0』・・・39億1000万円
7位:『レミーのおいしいレストラン』・・・39億円
8位:『ナイトミュージアム』・・・35億7000万円
9位:『オーシャンズ13』...32億円
10位:『バイオハザードⅢ』・・・28億5000万円



注目すべきは『パイレーツ・オブ・カリビアン ワールド・エンド』(07)、『スパイダーマン3』(07)、『オーシャンズ13』(07)、『バイオハザードⅢ』(07)の4本。これらの作品に共通するのは、シリーズ3作目だという点。また、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(07)や『ダイ・ハード4.0』(07)といった続編物だけでなく、その後シリーズ化される『トランスフォーマー』(07)や『ナイト ミュージアム』(06)など、上位10作品のほとんどがシリーズ物なのだ。



前年の平成十八年( https://plus.paravi.jp/entertainment/008882.html )でも指摘したことだが、続編物に対する増加傾向は平成十九年にも表れている。ベスト10圏外だが『シュレック3』(07)や『ボーン・アルティメイタム』(07)といった3作目も平成十九年の公開作品だからだ。



ならば邦画の興行はどうだったのか?



2007年邦画興行収入ベスト5

1位:『HERO』・・・81億5000万円
2位:『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド・パール ディアルガVパルキアVSダークライ』・・・50億2000万円
3位:『ALWAYS 続・三丁目の夕日』・・45億6000万円
4位:『西遊記』・・・43億7000万円
5位:『武士の一分』・・・41億1000万円

平成十九年の邦画は、東宝と松竹が前年を上回る年間興行収入を記録。だが、好調な売り上げとは裏腹に、どちらかと言うと目新しさに欠け、『武士の一分』を除けば、テレビドラマの映画化、続編、アニメが並び、皮肉にも「停滞」を感じさせるような作品が上位を占めている。



それゆえ、平成十九年前後の興行における「停滞」は、結果的に十数年かけて新たな才能が世に出てゆくこと後押ししたのではないかと思わせるに至るのだ。いずれ記述することになるが、平成十九年に810本だった日本における映画公開本数は、令和元年に1278本まで増加。この現象にも「個人が何かを発信する」ことが一般的になってゆく社会傾向からの影響を指摘できるのだが、それはまたいずれ平成の終わりに。

文化も技術も"久しくとどまる"ことはない

先述のミニFMの技術は、ドライブ・イン・シアターでの音声をカーラジオで受信することや、ショッピングモール内や遊興施設内といった限定的な場所で聴ける放送局の設置、新幹線車内でのFM放送を再送信することなどに利用されたが、不法な放送が摘発されるなどの経緯もあり、やがて人々から忘れ去られる技術となった。また、1990年代になると隆盛を誇ったFM情報誌が次々と休刊。<エアチェック>という文化とともに、情報誌の存在もいつしか忘れられていった。ちなみに平成十九年には、セント・ギガとして放送を開始したBSラジオ放送自体が人知れず終了。今年に入ってからは、民放AMの44局が2028年を目処にFM化され、AM停波に向かっていると報道された。



筆者は2011年に始まった「WOWOWぷらすと」という配信番組に出演していた。当初はUstreamでの配信だったが、ニコニコ生放送やFRESH!からの配信に移行し、以降はアーカイブにYouTubeを併用しながら、Paravi、アクトビラと配信の場を「タモリ倶楽部」の如く流浪。番組は2020年まで約9年続いたが、黎明期のような数々の思い出深い生配信を経験したUstreamは、2017年にひっそりとサービスを終了。番組を同時配信していた「FRESH LIVE」も2020年に終了している。思えば、生配信の変遷を奇しくも己の目で見てきたことになるのである。



だからこそ言えるのは、この10年で生配信の状況は激変してきたことだ。現在あるものが未来永劫にわたって存在するわけではないという諦念の所以である。鴨長明は「方丈記」の冒頭で"行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし"と記したが、いつの世もすべてのものは移り変わり、同じままではないということは、いにしえから真理であるのだと改めて悟るのであった。 (映画評論家・松崎健夫)

出典:
・「キネマ旬報ベスト・テン90回全史1924−2016」(キネマ旬報社)
・「キネマ旬報 2008年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
・「FM fan」西版1983年 No.25
・「平成TVクロニクル Vo.Ⅱ」(東京ニュース通信社)
・「大辞林 第三版」(三省堂)
・一般社団法人 日本映画製作者連盟
http://www.eiren.org/toukei/img/eiren_kosyu/data_2007.pdf
・テレビログ
https://www.homemate-research.com/bc185/tvlog/199/
・JIJI.COM
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021061500940&g=soc
・「方丈記」鴨長明(青空文庫)
https://www.aozora.gr.jp/cards/000196/files/975_15935.html

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