『春になったら』を観て思い出した、親の働く姿が恥ずかしかったあの頃

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いつから僕たちは親の働く姿を見ると、恥ずかしいと思うようになったのだろうか。

ついに実演販売士のキャリアに終止符を打った椎名雅彦(木梨憲武)。『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系、毎週月曜22:00~)第8話は、親から子へ、受け継がれていくものを見た回だった。

瞳が雅彦から学んだプロとしての美学



個人的な話で恐縮だけど、僕の父は小さな工場を営んでいた。取引先への配達に使うのは、幌のついた軽トラック。幼い頃は、父の軽トラの助手席に乗せてもらうのがうれしかったのに、小学校中学年に上がる頃には、町で父の軽トラを見かけると思わず目を伏せるようになった。高校でクラスメイトから親の職業を尋ねられると、曖昧に誤魔化す術を覚えた。

父のことが嫌いなわけではまったくない。ただ、働いている父に対して無性に胸が酸っぱくなった。

そんな懐かしい感覚を思い出したのは、雅彦の最後の実演販売を見たせいだ。体の限界を感じ、引退を決めた雅彦。会社の功労者である雅彦の幕引きに、社長の中井義広(矢柴俊博)は最高の花道を用意する。最後の商材は、ヨッシーコーポレーション初のオリジナル製品であるキッチンバサミ。雅彦はいつもの話術でハサミを200本も売りさばき、有終の美を飾った。

父の最後の晴れ舞台を見ていた瞳(奈緒)は昔のことを思い出す。まだ自分が制服を着ていた頃、父が路上で実演販売しているのに遭遇すると、つい知らない人のふりをしていた。そうやって汗水流して稼いだお金で生活できていることくらい頭ではわかっている。でも、頭でわかっていることを心で受け入れられないのが、思春期だ。あの頃の瞳は、いつも父の仕事に文句をこぼしていた。

「グラッチェ椎名」なんてふざけたネーミングもきっと好きじゃなかったはずだ。でもあの場で心から「ありがとう」と思っていたのもまた瞳だっただろう。最後の実演販売をする父にカメラのレンズを向けながら、瞳は誇らしいような、いたわるような視線を浮かべていた。あのとき、瞳がすごいと思っていたのは、キッチンバサミを200本完売させたことではない。それよりも、多くのお客さんから愛される父の姿に、父らしさを感じたんだと思う。家の中でいつも元気なお父さんであったように、お客さんの前でもいつも元気な「グラッチェ椎名」であり続けた。その明るさに照らされて、お客さんも商品を買い続けた。

最後の実演販売である今日も湿っぽいところなんてまるで見せずに、「また買いに来るね」の声に「またね」と応えた。その「また」が来ないことを本人がいちばんよくわかっているのに、明日も同じ場所で商品を売っているような顔で手を振った。それが、父のプロとしての美学なんだろう。どこまでも仕事に対して真面目で一生懸命な父が、瞳は誇らしかった。

そして、そんな父のイズムが自分に流れていることにも気づく。急に産気づいた矢萩亜弥(杏花)からの連絡を受けた瞳は、父の晴れ姿を見ることよりも、迷わず仕事を選んだ。その選択は、瞳にとってごくごく自然なものだった。なぜなら、男手ひとつで自分を育ててくれた父から学んだことは「一生懸命働く」ことの素晴らしさだったから。お客さんに病気のことを気づかれないよう店頭に立ち続けた父のように、瞳も助産師の役割に徹した。それが、瞳にとってのプロイズムだった。

言葉にして教えられなくても、子は親からいろんなことを学びとる。だから、親子はどんどん似てくる。仕事の向き合い方ひとつとっても、2人は間違いなく親子だ。そして、その不器用なくらいのまっすぐさに僕たちはいとしさを覚える。こんな親子であれたら、と思う。

そういえば、いつの間にか父の仕事を恥ずかしく思う感情は僕の中で消えていた。今はただただ僕を含め3人の子どもを自分の稼ぎで大きくした父のことがすごいと思う。でも、気恥ずかしくて瞳みたいに面と向かって父に「かっこいい」とは言えない。

いつか僕もそう伝えることができるだろうか。せめてそれが手遅れにならないように。つい「〜〜になったら」と先送りにしてしまいがちなきっかけを『春になったら』は与えてくれているのかもしれない。

雅彦と龍之介の「よろしく」の違い



第8話は、この最後の実演販売のシーンだけでなく、その前のくだりもこみ上げるものがあった。特にグッと来たのが、瞳と川上龍之介(石塚陸翔)、雅彦と一馬(濱田岳)、それぞれの食事のシーンだ。いつもは瞳と一馬と龍之介、あるいは瞳と雅彦と一馬という組み合わせ。それが、今回は2人きり。どちらも血のつながりのない2人が、親子になろうとしている。

龍之介は瞳に父を託し、雅彦は一馬に娘を託す。想いは、龍之介も雅彦も同じだ。ただ決定的に違うのは、龍之介には一緒に歩んでいく時間がある。けれど、雅彦にはその未来がない。前へ前へと道が伸びている瞳と一馬に対し、雅彦の道はもうすぐ行き止まり。そこからはもう2人との距離はどんどん広がっていくだけ。二度と伴走することはできない。

だから、龍之介からの「よろしく」は希望でいっぱいなのに、雅彦からの「よろしく」は苦しくてやりきれない。2つのシーンを並列で配置することで、その違いから生まれる残酷さがより際立っていた。

雅彦の「死ぬまでにやりたいことリスト」は、新たに追加された「瞳の結婚式に出席する!」を含めて残り3つ。最終回に向けて、この残りの3つが消化されていくのだろう。

でも不思議なもので、タイムカプセルも英語も、あるいはすでに達成した伊豆旅行や旧友への謝罪も含めて、リストに書かれたことはどれも人生の終い支度であったのに対し、「瞳の結婚式に出席する!」だけは未来に向けた強い意志に感じられた。どうかこの意志が、消えかかっている雅彦の命の火を強める薪になってほしい。きっとそれを人は希望と呼ぶのだから。

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