後藤真希「ASAYAN」時代を振り返って「あの頃の自分は恐ろしい…。アイドルになっていなかったらどんな人生を送っていただろうと考えることがある」

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1999年8月...「ASAYAN」(1995~2002年テレビ東京)内で行われた「モーニング娘。第2回追加オーディション」に合格し、13歳で3期メンバーに選出された後藤真希。
プロデューサーのつんく♂に「10年に1人の逸材。才能が飛び抜けている」と言わしめた彼女は、同年9月にリリースされた「LOVEマシーン」で、すぐさまセンターポジションを獲得。アイドル界の一時代を築き上げた。ハロー!プロジェクト卒業後は、ソロアーティストとして活動中だ。

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そんな後藤が、昨年11月、約10年ぶりとなる写真集「ramus」を発売。現在4度目の重版が決定しており、その勢いがまだまだ止まらない。
写真集の撮影前はあえて夜中にラーメンを食べ、脂肪をつけるようにしたと笑顔で話す後藤。あらゆるシチュエーションで女性も憧れる完璧な美BODYを解放! グラマラスなヌーディー&ランジェリーカットからベッド上で見せる妖艶な表情まで...大胆な衝撃カットの連続で、SNSでの評判もうなぎ上り。特典カット付きの電子版も引き続き絶好調だ。





「テレ東プラス」は、後藤真希をインタビュー。後編では、「ASAYAN」時代のエピソードや今後の活動に迫る。※前編はコチラ!

『もしもあの頃、普通の生活を送っていたら...』と考えたりはします


――インタビュー前編では、写真集「ramus」やAKB48と共演した「テレ東音楽祭」の裏話について伺いました。「『テレ東音楽祭』のような人数が多い場に行くと、負けず嫌いな部分が発動し、『何かしら残さないといけない...』という気持ちになる」という後藤さんの言葉がとても印象的でした。改めてプロ魂に感動しましたが、後藤さんは、アイドルにとって大事なことは何だと思われますか?

「うーんでも、今のお話にもありましたが、やっぱり負けず嫌いなことって大事だと思うんです。最近は、みんなで協力し合う、メンバー同士仲の良いグループが多いですよね。当時のモーニング娘。の場合、メンバーは全員ライバルでした(笑)。それぞれの個性がはっきりしていたし、負けず嫌いだったからこそ『もっと頑張ろう!』と自分なりの工夫を考えるようになったと思います」

――なるほど。デビュー当時の後藤さんは、今よりももっと負けず嫌いでしたか?

「そうですね。それはもちろんそうなんですけど、あの頃の自分は......どこからどう見ても、もう恐ろしいとしか言いようがないです(笑)。『肝が据わっている』と言われることも多かったのですが、実は当時はその意味がさっぱり分からなかったんですよ(笑)。だけど今振り返ってみると、『そういうことだよね』と納得してしまう行動が多々あって...。
例えば、『ASAYAN』のオーディションの最終審査はお寺での合宿(1999年。当時13歳)で、他のメンバーは正座してきちんとお経を聞いているのに、私は1人でうたた寝をしていたり...(笑)。正直、あれでよく受かったなと思います。当時はどこにカメラが置いてあるかも分からなかったので、ありのままの姿がオンエアされていて、ビックリしましたね」

――もしも人生をもう1度やり直すとしたら、またモーニング娘。に入りたいですか?

「どうかなぁ〜(笑)。私がモーニング娘。に入ったのは、本当にたまたまなんですよ。初めて『ASAYAN』を見た日に、"モーニング娘。新メンバー募集"の告知が出ていたんです。番組を見たのは本当に偶然でしたし、あの頃はアイドルのオーディションがたくさんあったので、もしもあのオンエアを見ていなくて、他のオーディションを受けていたらどうなっていたか分からないですよね。
ただ、合格してからは仕事漬けの毎日で、学校に行ったり友だちと遊ぶ暇がまったくなくなってしまったので、時々『もしもあの頃普通の生活を送っていたら...今頃どんな人生になっていただろう』と考えたりはします」

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