松崎健夫の平成映画興行史 平成十三年 「未だ破られていない『千と千尋の神隠し』の興行記録」

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現在も破られていない『千と千尋の神隠し』の興行記録

2匹のネズミと2人の小人が迷路の中に住み、チーズを探す・・・これは平成十三年に、約350万部を売り上げるベストセラーとなった「チーズはどこへ消えた?」(扶桑社刊)冒頭の記述を要約したものだ。医学博士・心理学者であるスペンサー・ジョンソンによるこの本は、1999年度の全米ビジネス書ランキングで1位となったことを受け、2000年(平成十二年)11月に日本でも出版されたという経緯がある。

この2001年に当たる平成十三年は、現在も破られることの無い興行記録を打ち立てた映画が公開された年だった。

【2001年邦画興行収入ベスト10】
1位:『千と千尋の神隠し』・・・308億円
2位:『劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇 ほか』・・・39億円
3位:『バトル・ロワイアル』・・・31億1000万円
4位:『陰陽師』・・・30億1000万円
5位:『ドラえもん のび太と翼の勇者たち ほか』・・・30億円
『ONE PIECE(ワンピース) ねじまき島の冒険 ほか』・・・30億円
6位:『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』・・・29億円
7位:『冷静と情熱のあいだ』・・・27億円
8位:『ホタル』・・・23億3000万円
9位:『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』・・・14億5000万円
10位:
『みんなのいえ』・・・12億5000万円
『仮面ライダーアギト PROJECT G4 ほか』・・・12億5000万円

宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』(01)が打ち立てた、日本国内での興行収入308億円という歴代1位の記録は、歴代2位の『タイタニック』(97)が約262億年(配給収入で160億円)であることを比較すると、これを追い越す作品はなかなか生まれないのではないかと思わせる。例えば、近年では2014年に『アナと雪の女王』(13)が255億円を、2016年には『君の名は。』(16)が250億3000万円の興行収入を記録して、その年の1位となっている。しかし、数字の上では『千と千尋の神隠し』に到底及ばない。そのくらい、この映画が興行成績の面では特別で唯一無二な作品なのだということがお分かり頂けるのではないだろうか。

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現代は平成十三年の"時代の混迷"を繰り返そうとしている

『千と千尋の神隠し』が公開された当時は、コンピューター技術や通信技術などの急速な発達により、バブルの崩壊を経て時代の変化に追いつけなくなった大人たちが「人生に思い悩みはじめていた」という時代でもあった。「来年は更に良い年になる」ことを疑うことのなかった世代にとって、"時代の混迷"は人生の指針を失うものだったからだ。

日本では1999年頃からサービスの始まった"ブロードバンド"と呼ばれる、当時としては高速で大容量の情報を送受信できる通信網がインターネットの普及に貢献。会社に導入されはじめていたパソコンは、価格の低下も伴って、徐々に各社員へ与えられるようになったという時代でもあった。要は、パソコンが使えないと仕事にならない時代に移行したのだ。その変化に戦々恐々とした40代〜50代の社員たちは、以前にも増してパソコン教室へ通うようになっていた。当時30代だった筆者は、新入社員たちが難なくパソコンを使える一方で、上司たちが操作に苦闘する姿を目の当たりにしていたのだ。

「チーズはどこへ消えた?」の冒頭には、こうも書いてある。

「チーズ」とは私たちが人生で求めるもの、つまり、仕事、家族、財産、健康、精神的な安定・・・等々の象徴。「迷路」とは、チーズを追い求める場所、つまり、社会、地域社会、家庭・・・等々の象徴です。

世の人々が抱える時代への不安。その答えを求めて、多くの人々がこの本を手に取ったのだということが冒頭の文章から窺える。

そして、時代がめぐった2020年。パソコンが使えないという中堅社員ではなく、パソコンが使えない新入社員へ対する対応に会社が苦心している、という現状を伝え聞くようになった。生まれた時から携帯電話が存在し、物心ついた頃にはスマートフォンを手にしていた世代にとって、高価で置き場所にも困るパソコンは無用の長物だ。アプリにタッチすればソフトが起動するし、キーボードを使うことも必要ない。そんな彼らの中にパソコンを使えない者がいるというのだ。

その理由は、スマートフォンの普及だけにあるのではない。そもそも、パソコンがない家庭で育った者が少なくないというのだ。パソコンを必要としないからではなく、必要だったとしてもパソコンの購入やインターネット回線を引くような経済的余裕のないという家庭が増加しているのである。つまり、社会の中で富裕層と貧困層との格差が徐々に広がったことは、パソコンを使えない若者を生み出すことにも繋がっているのだ。格差社会の波は、じわりじわりと時間をかけ、経済や教育にとどまらず個人のスキルにまで影響を及ぼしているのである。

このことについて、不確かながら個人的に思い当たるフシがあった。例えば、テレビ東京系列で放送中の『家、ついて行ってイイですか?』という番組。20代前後の取材対象者の自宅が紹介される際、「部屋にパソコンが見当たらないな」と以前から感じていたのだ。もちろん、全ての取材対象者に当てはまるわけではないのだが、実際に一人暮らしの大学生でテレビやパソコンを持っていないというケースは多い。講義などで、参考となる映像を「動画サイトで探してみてください」と当たり前のようにお願いすると、「スマホで動画を観ると速度制限がかかる」との苦言を学生側から頂くことがしばしばあるのだ。彼らは口を揃えて「自宅には、テレビもパソコンもWi-Fiもない」と発言するのである。また、コロナ禍によって在宅学習が推奨された折も、小・中学生がいる低所得世帯でインターネット環境のない家庭は、全世帯の2割にも及ぶと報道されていた。この現状は、家庭間の格差を裏付けるものだ。

50代となる筆者は、かつて上司がパソコンを使えない姿を目撃した世代だったが、今度は新入社員がパソコンを使えない姿を目撃するという世代にシフトチェンジしている。それゆえ、まるで退化するような時代の変化には不可思議を覚えてしまうのだ。出版から20年が経過した2020年になって、再び人々は「チーズはどこへ消えた?」を読み返しはじめている。売り切れの書店が続出し、再ブームの兆しがあるのだという。まるでそれは、時代の混迷が繰り返されることへの予兆でもあるかのようなのだ。

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なぜ、人々は『千と千尋の神隠し』を観に行ったのか?

平成十三年の邦画興行成績2位だった『劇場版ポケットモンスター』と、1位だった『千と千尋の神隠し』との間には約270億円もの興行収入の開きがある。これほどのヒットを記録した理由に対しては、これまで多くの知識人がさまざまな要因を指摘してきた。映画興行の視点やアニメーション史の視点はもちろん、社会学や民俗学の視点においても研究が成され、物語論としても分析されてきた。そんな『千と千尋の神隠し』に関する書籍は、現在も出版され続けている。はっきりとした理由は未だわからないままだが、複合的な要因によって社会現象になったというのが現在の通説だ。

例えば、「古事記」との類似点や、バブル崩壊後の社会での不安が反映された家族観や死生観などが、社会現象的なヒットの要因に挙げられてきた。しかしそれらは、あくまでも大人の視点にすぎない。無論、そのようなモチーフやテーマを鑑賞後に感じたとしても、公開当初の主たる観客であった子ども達にとっての「観に行きたくなる理由」としては、あまり関係のないことのように思える。むしろ、シネコンの普及によって「地方では映画館が以前よりも身近になった」という現象の方が、観客側の感覚に近いように思わせる。その上で、様々な作品解釈を伴う『千と千尋の神隠し』の内容そのものが、リピーターを生み出し、記録的なヒットを牽引して行ったという可能性を支持したいのだ。

「平成映画興行史」の第1回に当たる平成元年に邦画配給収入ランキングを制したのは、宮崎駿監督の『魔女の宅急便』(89)だった。劇場公開時は興行的に当たったとは言い難かった『となりのトトロ』(88)以降、スタジオジブリの作品は右肩上がりに興行成績を伸ばしてきたという経緯がある。そこには、セルビデオの購入、繰り返し地上波でテレビ放映されたことによって、スタジオジブリのブランドイメージがファンの間で定着したことも指摘できる。

やがて、ジブリの新作が公開されると「ジブリの作品は映画館でいち早く観たい」と観客に期待させるようになったことは、『もののけ姫』(97)が大ヒットした平成九年でも触れた通り。子どもの頃に『魔女の宅急便』や『となりのトトロ』を鑑賞したリアルタイム世代は、平成十三年に10代後半から20代へと成長している。場合によっては、親も子も「ジブリ世代」という家族構成にシフトしていた時代の変化も、観客動員に味方したと言えるだろう。

ちなみに『千と千尋の神隠し』は、第75回アカデミー賞で長編アニメ賞を受賞。この"長編アニメ賞"は、2001年に新設されたばかりの新しい賞だった。つまり、『千と千尋の神隠し』は、賞の設立2年目での受賞だったのだ。さらに、同年の候補になっていた『アイス・エイジ』(02)や『リロ・アンド・スティッチ』(02)などの大ヒット映画を抑えての受賞だったことは、いかに異例なことであったのかをも物語る。

一説には、作品賞候補になりながらも受賞を果たせなかった『美女と野獣』(91)や、作品賞候補にすらならなかった『トイ・ストーリー』(95)といったアニメーション映画に対する評価を、ハリウッドの映画界で再考するという観点で業界内のロビー活動が行われ、賞が新設されたのだと噂された。つまり、アメリカで製作されたアニメーション映画に対する評価を高めるはずの賞に、日本のアニメーション映画が輝いてしまったのである。否、快挙と言えるだろう。

アカデミー長編アニメ賞19年の歴史(第74回から第92回まで)の中で、アメリカ製ではないアニメーション映画が受賞したのは、イギリス映画である『ウォレスとグルミット 野菜畑で大ピンチ!』(05)と『千と千尋の神隠し』だけなのである(ちなみに、第79回に受賞した『ハッピー フィート』(06)はオーストラリアとアメリカの合作)。

2009年には滝田洋二郎監督の『おくりびと』(08)が、第81回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞することになるのだが、ディズニやピクサーといったアニメーションスタジオを持ち、映画産業の中心とも言えるハリウッドで、近年(アニメーションに限らず)これほどの高い評価を得た日本映画は『千と千尋の神隠し』だけだ。遅れること中国では、日本公開から18年を経た2019年に公開され、同時期に公開された『トイ・ストーリー4』(19)の2倍以上の興行成績をあげる大ヒットを記録している。つまり、日本だけでなく海外においても、はたまた時代を経てもなお、『千と千尋の神隠し』は観客を熱狂させ続けているのである。

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そして、人々はリアルから目を逸らしはじめる

2001年9月11日。アメリカ同時多発テロが発生したことは、国際社会のあり方を一変させた。映画界においては「テロ事件を想起させる」という理由から、アーノルド・シュワルツェネッガー主演の『コラテラル・ダメージ』(02)や、マーティン・スコセッシ監督の『ギャング・オブ・ニューヨーク』(02)が公開延期になった。また、プロモーションするはずだったハリウッドスターの来日も中止が相次いだ。当時はテロに対する恐怖だけでなく、先行きのわからない社会に対する不安がさらに加速した雰囲気にあったことを覚えている人も少なくないだろう。

このことと、「チーズはどこへ消えた?」がベストセラーになったこと、そして『千と千尋の神隠し』が未だ記録が破られないほどのヒットを記録したこととは"不安"というキーワードにおいて無関係ではない。それを裏付けるように、2001年末にアメリカで公開された2本の映画は、日本でも2001年年末から2002年にかけて大ヒットを記録することになる。公開当時は、原作の知名度や親子で観に行けるという点がヒットの理由に挙げられていたのだが、現在では別の要因も指摘されている。

旅客機がツインタワーに突入し、巨大な塔が瓦解する映像。テレビで生中継されたアメリカ同時多発テロの惨状は「まるで映画のようだ」と、人々を現実逃避させるに十分だった。それゆえ、後になって「観客はリアルな現実を描いた映画よりも、現実とはかけ離れた物語を好むようになったのではないか?」と分析されるようになった。世界中で大ヒットを記録したその映画とは、日本で2001年12月1日に公開された『ハリー・ポッターと賢者の石』(01)、そして、2002年3月2日に公開された『ロード・オブ・ザ・リング』(01)、誰もが知るこの2本なのである。

(映画評論家・松崎健夫)

【出典】
・「キネマ旬報ベスト・テン90回全史1924−2016」(キネマ旬報社)
・「キネマ旬報 2002年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
・「現代映画用語事典」(キネマ旬報社)
・「チーズはどこへ消えた」スペンサー・ジョンソン(扶桑社)https://www.fusosha.co.jp/books/detail/9784594030193 ・一般社団法人 日本映画製作者連盟 http://www.eiren.org/toukei/img/eiren_kosyu/data_2001.pdf ・興行通信社 歴代興行ランキング http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/ ・NTT IP接続サービス名称の変更について https://www.ntt-east.co.jp/release/0007/000718a.html ・共同通信 https://this.kiji.is/618442084358784097?c=39546741839462401
・BBC NEWS JAPAN https://www.bbc.com/japanese/48781995

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