松崎健夫の平成映画興行史 平成十六年 「世界の中心で最後のサムライを叫んだけもの」

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"世界の中心"は香川県にあった

香川県高松市庵治町。皇子神社へと向かう石段を登った神社前の丘に、庵治湾を望む公園がある。好きな相手と一緒に並んで座ると恋愛成就するというブランコ。観光地でもない、ただ、ブランコがあるだけの公園に、多くの人が押し寄せたことがあった。この地は、平成十六年(2004年)に85億円の興行収入を記録し、邦画の年間興行収入で1位となった『世界の中心で、愛をさけぶ』(04)のロケが行われた場所だったからだ。

写真館を営む重蔵(山﨑努)の数十年に渡る想いを寄せていた相手が、亡くなった校長先生(草村礼子)だったことを朔太郎(森山未來)と亜紀(長澤まさみ)が話す場面。そこで座っていたブランコが、皇子神社前の公園に設置されたものなのだ。まだSNSなど存在しない時代、いつしか場所が特定され、映画を観た若者たちが訪れるようになり、金網に南京錠をつけることで恋愛成就を願うようになったのだという。その人気は凄まじく、南京錠の数があまりにも増えたため、元は写真館のロケセットとなった雨平写真館を復元した観光交流館へ移設されたほど。現在は純愛の聖地として、併設されたカフェでは地元の石で挽いた石臼挽きコーヒーが味わえるほか、撮影当時の資料が展示されるなど観光名所となっている。





観光資源のない僻地とされるような地方の小さな町が、映画の舞台となることで観光地化する現象には、いくつかの例がある。その経済効果を狙って地方都市に設立されている非営利団体が、2000年に大阪で初めて組織された<フィルム・コミッション>だ。今日では地域活性化のため全国で組織され、ロケ撮影の誘致やエキストラの募集などさまざまな業務を行なっている。設立の動きが全国に広がった要因となった作品のひとつが、実は『世界の中心で、愛をさけぶ』だったのである。何でもないただのブランコが一躍観光資源となるのだから、そんな目から鱗の現象に全国の地町村が目をつけるのは当然の流れだったのかも知れない。

これは日本映画の事例だが、平成十六年である2004年には、ロケ誘致を促進した結果がハリウッド映画にも及んでいたのである。

【2004年洋画興行収入ベスト10】
1位:『ラスト サムライ』・・・137億円
2位:『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』・・・135億円
3位:『ファインディング・ニモ』・・・110億円
4位:『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』・・・103億2000万円
5位:『スパイダーマン2』・・・67億円
6位:『デイ・アフター・トゥモロー』・・・52億円
7位:『トロイ』・・・43億円
8位:『アイ、ロボット』・・・37億5000万円
9位:『ホーンテッド・マンション』・・・34億円
10位:『ヴァン・ヘルシング』・・・28億円

1位となったトム・クルーズ主演の『ラスト サムライ』(03)は、近代化を進めてゆく明治政府で、軍事教官の職に就いたアメリカ人が武士道精神に触れるという物語。既に「時代劇は当たらない」とされていた日本の市場で、アメリカ製の時代劇は驚くほどのヒット作となった。どのくらい当たったのかと言うと、日本国内歴代興行収入の邦画・洋画を併せたランキングで、歴代12位(2020年現在)に位置する。洋画のみだと5位の『アバター』(09)に次ぐ歴代6位。つまり公開時点では、歴代2位の『アナと雪の女王』(14)もまだ公開されていないので、当時は歴代4位となる超メガヒットだったのだ。

『ラスト サムライ』のヒットが凄かった理由

ところが『ラスト サムライ』が凄いのは、日本での興行記録という点だけではない。北米でも大ヒットしたこの映画は、第76回アカデミー賞で渡辺謙が助演男優賞の候補となるなど4部門で候補となった。今や"ケン・ワタナベ"として『インセプション』(10)や『GODZILLA ゴジラ』(14)、『名探偵ピカチュウ』(19)など当たり前のようにハリウッド大作に出演しているが、『ラスト サムライ』は彼にとって初めての海外作品だった。ハリウッドでいかなる評価を受けたのかは、海外ではほぼ無名の日本人俳優がいきなりアカデミー賞候補となったことからも窺えるだろう。

もうひとつ重要な点は、この映画が北米の市場よりも高い興行収入をあげたということにある。アメリカとカナダを併せた北米の興行収入は約1億1111万ドル。1ドルを110円と換算したとしても約122億円だ。北米では2938スクリーンで上映されたが、2004年当時の日本国内の全スクリーン数は2825しかない。この市場規模の違いからも、いかに多くの日本の観客が鑑賞したのかを窺わせる。また、全世界興行収入が約4億5462万ドルなので、北米の占有率は24.4%。つまり、日本だけで4分の1以上の興行収入を稼いだことになる。

日本の映画市場規模で北米に勝ることがどれほど異例であるかは、平成十年で紹介した『タイタニック』(97)(松崎健夫の平成映画興行史 平成十年 「沈みかけた船だった『タイタニック』」
) を例にとってみるとよく判る。洋画として歴代1位(2020年現在)の262億円を日本国内で稼いだ『タイタニック』だが、北米では約6億ドルを稼いでいる。1ドルを110円と換算すると約660億円になる。全世界興行収入が約18億5090万ドルなので、北米の占有率はおおよそ32%。この数字から多くのハリウッド映画は、海外市場での稼ぎを重視していることを窺わせる。それゆえ、日本での興行収入が全世界の4分の1も占めたことは、メガヒット映画であればあるほど稀な事例なのだ。勿論、『小さな恋のメロディ』(71)や『ビッグ・ウェンズデー』(78)など、日本で局地的に大ヒットした映画の例もあるが、ここでは問わない。

トム・クルーズはヘリでロケ地を移動した

『ラスト サムライ』の撮影は兵庫県姫路市で行われた。当時、姫路にいた筆者は、撮影現場を何度か見に行っている。主な撮影が行われたのは書写山の山奥にある圓教寺。山の途中までは4WDの車両を使用して登ることができるのだが、それは市や寺の関係者のみ(一般車両は不可)。ロープウェイで山上駅まで登り、そこからは山道を歩かなければ辿り着かないような場所に圓教寺は建っている。撮影機材を運び込むだけでも、そう簡単にはいかない場所だ。渡辺謙や真田広之などの日本人キャストだけでなく、トム・クルーズも毎日ロープウェイで山上駅まで登り、そこからは徒歩で撮影場所まで移動していた。

劇中、冬場に差し掛かりそうな時期に撮影されたにも関わらず、桜が満開の中でトム・クルーズと渡辺謙が語り合う場面がある。この季節外れの桜を実践したのは、東映の美術スタッフたちだった。模造の桜を樹木に被せることで、満開の桜を表現。模造の桜の裏面を見ると<東映>という札が付いていたことを思い出す。『ラスト サムライ』は単なるハリウッド製時代劇ではなく、日本の時代劇の技術を取り入れた作品だったのだ。しかし、ハリウッドのメジャー映画会社による大作映画の凄さを感じさせたのは、撮影以外の部分にあった。

姫路市内や撮影地の近郊には、トム・クルーズが宿泊を好むような有名ホテルはない。真偽のほどは判らないが、風の噂によるとトムは有馬温泉に宿泊することを希望したと聞く。姫路市から神戸市にある有馬温泉までの距離は、約63キロもある。高速道路を使って車で移動しても、一時間以上かかるくらい離れているのだ。そこで考案されたのがヘリコプターでの移動。もちろん、近隣にヘリポートなどない。なんと、近くのゴルフ場を撮影期間貸切り、ゴルフ場をヘリポートに変えてしまったのだ。ほぼ毎日定時に撮影を終えるトムを待ち構えた野次馬たちが、彼の姿をひと目見ようと、ゴルフ場へ毎日のように集まったことは言うまでもない(筆者は行っていない、念のため)。それでもトムは、移動中にもかかわらず可能な限りファンたちと握手やサインをしていた姿が印象的だった。

それだけではない。そもそも姫路市内には、ハリウッドからやって来た何百人ものスタッフを長期にわたって一度に宿泊できるようなホテル数がない。近隣市町村のホテルに分散させると、それはそれでロケ地までの移動が大変なことになる。そこで彼らは、竣工したばかりで入居前の分譲・賃貸マンションを丸ごといくつも借り上げたのだ。あまりにも大胆な発想と潤沢な資金力、強固な交渉力には驚くばかりだった。

また、この映画の功績は意外なところにも波及している。トム・クルーズ演じるオールグレンと対立する大村を演じたのは、映画監督の原田眞人。圓教寺を訪れた原田眞人は、996年に創建され、時代を超越した変わらぬ姿で佇む建築物に魅せられたのだろう。2010年代になって時代劇を監督するようになった際、『駆け込み女と駆け出し男』(15)や『関ヶ原』(17)で、圓教寺をロケ地のひとつに選んでいる。

観客は作品を愛でロケ地も愛でる

『ラスト サムライ』の日本公開は2003年の12月6日(全米公開は12月5日)なので、興行収入は翌年の2004年(平成十六年)分に計上されている。この2003年には、日本を舞台にした話題の作品が2本公開されている。ひとつは、日本で25億円の興行収入を記録し、全世界でヒットしたクエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』(03)。もう一本は、アカデミー脚本賞に輝いたソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』(03)。東京が舞台となるこの2本と『ラスト サムライ』の存在は、ある時期のハリウッドで日本を描く企画が重視されつつあったことを窺わせる。

しかし、実質『ラスト サムライ』の撮影は日本国内ではなく、合戦場面などの多くの撮影がニュージーランドやハリウッドのスタジオ内で行われたという事実がある。例えば『ブラック・レイン』(89)を日本でロケした際、あまりの融通の利かなさに日本での撮影を諦め、多くの場面をアメリカで撮影したという事例と近似している。大阪でのロケでは、撮影許可が下りたと思ったら、当日になって断られるというような事例が頻繁にあったと聞く。

ハリウッド映画の場合、規模が大きい作品だと撮影が一日延期したり中止になっただけで数百万円〜数千万円の損失になるという現場もある(一例として、労働組合の規約で数百人のスタッフや俳優に賃金が発生する)。残念ながら、日本で街中の撮影許可が下りないことは、海外の映画人にとって良く知られる悪習となってしまっているのだ。さらに、日本は物価そのものが高いため、製作費が割高になるという経済的な事情もある。ハリウッド映画を愛でてきた日本で、ロケが敢行される外国映画が極端に少ないのはそのためだ。

書写山圓教寺には今なお多くの観光客が訪れているが、それはもともと観光地であったということに依るところも大きい。それゆえ"『ラスト サムライ』のロケ地"として圓教寺が観光資源となったのはひと時だったという印象もある。一方で、ロケ地の誘致としては、大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』や『軍事官兵衛』、映画『るろうに剣心』シリーズや『3月のライオン』(17)などで撮影場所に選ばれるなど、<フィルム・コミッション>が活性化に一役買ったことも間違いない。





『世界の中心で、愛をさけぶ』が公開される3年前。片山恭一の小説「世界の中心で、愛をさけぶ」は2001年に出版された。だが、当初からベストセラーとなった書籍というわけではなかった。初版は8000部に過ぎなかったが、やがて書店員たちの目にとまり、手書きの店頭POPと読者の口コミによって評判が広がり、柴咲コウが雑誌「ダ・ヴィンチ」に書評を書き、その文言が書籍の帯に採用されたことで徐々に部数を伸ばしていったという経緯がある。映画が公開される前には、既に100万部を突破。最終的には約320万部を売り上げている。つまり、ロケ地を愛でることもまた、行政の側や映画製作者の側にあるのではなく、作品を愛した者たち次第ということなのだろう。

(映画評論家・松崎健夫)

出典:
・「キネマ旬報ベスト・テン90回全史1924−2016」(キネマ旬報社)
・「キネマ旬報 2005年2月下旬決算特別号」(キネマ旬報社)
「現代映画用語事典」(キネマ旬報社)
・一般社団法人 日本映画製作者連盟 http://www.eiren.org/toukei/img/eiren_kosyu/data_2004.pdf
・映画ロケ地めぐり 香川県高松市牟礼町・庵治町あれこれ http://mureaji.jp/?cat=32
・姫路フィルムコミッション https://www.himeji-kanko.jp/fc/locationmap/map1.html
・読売ADレポート https://adv.yomiuri.co.jp/ojo_archive/02number/200505/05toku3.html
・BOX OFFICE MOJO
「The Last Samurai」 https://www.boxofficemojo.com/release/rl2640283137/
「Titanic」 https://www.boxofficemojo.com/release/rl3698624001/

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